バカジを待って学食で雑誌を眺めているところで、当然のように目の前に座る人影。
『失礼』って一言もなしかよ、と目を上げたら、ココしばらくの間で一番見たくない顔があった。
バカジの部活の先輩、早島。
「そこの目元涼やかなにーさん、駅伝部に入らねえ?」
人の悪そうな顔でにやにやと笑いながら、早島は云った。
「…間に合ってます」
「つれない返事で即答かいっ」
ったりめぇだ、コンチクショウ。
お前に関わるとろくなことがない。
とりあえず、俺の機嫌は急降下だ。
「何か用すか?」
「お前の名字って『かさはら』?お前、眼鏡じゃなかったよな?」
そう云って、確認するように早島はオレの眼鏡を取り上げる。
ジタバタするのは、コイツを喜ばせるだけだ、きっと。
だから、そのまま早島の顔を見た。
「はあ?何言ってんだ、アンタ?」
眼鏡をしてないと、かなりオレの人相は悪いらしい。
ソレを気にすることもなく、じーっと、オレを眺めてる。
ふふん、と顔を確認すると納得したように早島は眼鏡を返してきた。
「いや、どっかで見たなと思っててよ。フォームチェックで昔のビデオ見たら、加地とお前が映っててさあ」
「…」
「“陣”としか聞いてなかったから、気がつかなかったんだよな。お前、あの『かさはら』じゃねえか」
「アンタみたいな有名人じゃないんで、あの、とか言われてもわかんねーし」
あの、ってなんだよ?
そりゃ、同じ地区の高校だったんだから、何度か大会で姿は見てるだろうし。
同じレースで走ったこともあったけど。
“エース”と呼ばれるそちら様とは比べもんにならないほどの成績でしたよ、こっちは。
「面白れーよな、お前」
「そりゃどーも」
くくくくく、と、喉の奥で笑って、早島は身を乗り出してきた。
「なぁ、マジな話。お前、ウチに来いよ」
「だから、お断りだっつってんだろ?ブランクのあるオレが入ってどうするよ?選手は充分いてるだろう」
「頭数だけなら、いてるな、確かに」
何とまぁ、正直というか冷たいというか。
あっさりと肩を竦めつつ、早島は言い切った。
“頭数だけ”と。
「走れるヤツはいてても、考えられるヤツがいねぇ」
「は?」
「お前、覚えてるぜ。高校ん時、俺を“風除け”にしただろ」
気づいてないとでも思ってたか?と、早島は口角を上げた。
勝負師の顔がちらりとのぞく。
確かに。
高校ん時の試合で、こいつの後ろにくっついてたことがある。
力不足でラスト抜けなかったけど、かなり風除けにさせてもらって、走りやすかった。
ま、ばれてない筈はない、と思ってたけど。
「その節はお世話になりました。でも、アレ、最終的にアンタが勝ったでしょ?オレの実力なんてあの程度だよ?」
はんっと早島は鼻先で笑った。
「んなもん、いくらでも底上げできるだろ。要は今、そういうレースが出来ねぇんだよ」
欲求不満の勝負師の顔。
個人レースと違うからな、駅伝は。
ココがいるんだ、と、早島は人差し指で頭を示す。
ソレ、まずはオタクの監督に言えば?と、云いかけて飲み込む。
コイツはそういうの、重々わかってんだろうな。
わかってて、オレに粉かけてんだろう。
「バカジや涼も、充分走ると思うけど?」
「走るだけ、ならな。加地は突っ走りやだし、田辺は性格がお優しすぎる」
「オレは、走れませんよ」
じーっと、お互い引かずに顔を眺めた。
学食の隅で、テーブルを挟んで。
誤魔化していてもキリがない。だから、もう一度、はっきりと口にした。
「オレは、走れない」
「どういうことだ?もう、未練はねぇってか?」
「っとに、わかんねぇな、アンタも。耳悪いのかよ?」
「走らないのか、走れないのか、どっちだよ」
ずいっと、早島が身を乗り出してくる。
だから、と、もう一度口を開きかけた時、ごごごごごごご、とものすごい音を立てて椅子が後ろに引かれた。
な、何だ?!
「先輩、接近禁止っ」
オレごと椅子をテーブルから引き離し、ばんっとテーブルに手をつく。
バカジ。
来たんだ。
そういえば、待ち合わせていたんだっけ、と、ここに居た理由を思い出した。
はい、落ち着いて〜、と、追いついた風情の涼が、バカジをなだめてた。
「また、陣にちょっかいかけてたでしょ?!」
「ちょっかい云うな。口説いてただけだ」
「先輩っ」
触れなば切れん、とでもいった勝負師の顔を引っ込めて、早島はしれっとバカジをからかい始める。
まったく、コイツは…
溜め息とともに椅子から立ったら、心配顔で涼が
「で、真相は?」
そう聞いてきた。
ああ、ホントによくみてるよ早島。
涼は勝負事にはお優しすぎる性格なんだ、確かに。
「部活にスカウトされてただけだ」
バカジが勢いで引いた椅子を元に戻して、荷物をまとめる。
がるるるるる、と、早島を威嚇してる肩をつつく。
「おい、行くぞ」
「え、陣?ちょっと待ってよ」
ほんじゃ先輩失礼っす、何て頭下げてるとこ見ると、体育会系だなぁ、コイツ。
なんて笑いがこみ上げてくる。
思ったよりあっさりと早島は引き下がってくれた。
「またな」
興味がなくなった、とでも云うように頬杖をついてひらりと手を振る。
こっちもそうそうまたがあっちゃ困るんだけど。
一応会釈だけして、学食を出る。
「陣?ダイジョーブか?何もされてない?」
パタパタと人の身体を叩いて、確認してるバカジに苦笑。
何かされててもソレで分かるかよ?
ホントにあの早島ってヤツは。
マジなのかフザケてんのかイマイチつかめねぇ。
どっちにしても異様にテンションが高いヤツだってことに変わりはないんだけど。
どんな用件だろうとも、あいつとだけはもう関わりあいたくねぇなぁ…と。
見当違いに心配顔をしてるバカジを眺めて、溜め息をついた。