今日は、なし

 

 

「あら、もう、してくれないの?私、笠原くんのキス、割と好きだったのに」

 

 

 目の前の女の子はそう言って笑った。
 ノートの代償に、ドレスコードのある店で奢れと強請られ。
 仕方ないので付き合った帰り道。

 

 

「割とって、微妙だな」
「そう?きっぱり断言できるほどのお付き合いじゃなかったでしょ」
「ま、そうだけどさ」
「じゃあ、噂はホントだったんだ?」

 

 

 彼女の口から出た言葉に、首をかしげる。
 噂されるほどの有名人じゃない筈だ。
 どっかの“俺様”じゃあるまいし。

 

 

「最近笠原くんおとなしいから、本命ができたんだろうって」

 

 

 最近大人しい。
 そう言われてしまうと耳が痛い。
 確かにフラフラとしてた時期があるから。
 この子もその時期に何となくお持ち帰りした…というか、されたトコからの付き合いだし。
 もちろん、そんなのはすっぱり止めた。
 バカジが手に入ったんだ。
 する必要もない。

 

 

「あー…まあ、できたっていうか…」
「なんだ、元々いてて、ラブラブになれたんだ」

 

 

 言いふらすわけにも行かない付き合いだから言葉を濁したのを、彼女はいいようにとったみたいだ。
 間違いじゃないから、訂正もしないけど。

 

 

「つまんない。オールで遊んでもらおうと思ったのに。笠原くんみたいな人、なかなかいないんだもん」
「ソレはオレが都合がいいってこと?」
「うん。持ち物扱いしないし束縛しないしそこそこ見た目いいし優しいし」
「そりゃ、どうも」

 

 

 彼女の最寄り駅まで送って、約束のノートのコピーを受け取る。
 『またよろしく』という言葉には、きっぱりとヤダを返された。
 ま、見返りが遊び相手じゃオレもそうそう頼りたくないんだけどさ。
 家に帰るまでにメールを送る。
 即来た返信には

 

 

『すぐ行く』

 

 

 の文字と笑顔の顔文字。
 打ってる時の様子まで想像できて、自然と顔が笑ってしまう。

 

 

 できるだけ急いで家に帰ろう。
 お前を待たせないように。
 それから、オレの忍耐力を総動員してお前の試験勉強だ。
 周りからはそう見えなくても、オレの大本命はバカジだ。
 バカジが走ってるのが好きだ。
 走らせるのが、好きだ。
 なので。
 試験勉強や留年なんて理由で、その足を止めさせるのは癪だ。

 

 

 家路に向かう電車の中でオレが取ってるわけでもない授業のノートに目を走らせつつ。
 オレは自分に言い聞かせていた。

 

 

 今日は、なし。
 どんだけバカジがかわいく見えても、今日は、なし。


 

 

end