感覚は覚えている。
足の動かし方、手のフリ、呼吸のタイミング。
覚えているのに、身体はついてこない。当然だ。オレは“アレ”から、まったく走っていない。
どう考えても無謀なことをしている。
ただ、吹っ切れると思ったんだ。
吹っ切ってしまいたかった。
もう、走らないほうがいいってことや。
走らないオレに何もないってことや。
どうしようもない気持ちだとか、全部。
バカジからの挑戦状は、だから、最大のきっかけ。
ただ走っただけじゃ、きっと吹っ切れない。重要なのはヤツからの、挑戦状だってこと。
たった五千Mなのに。
そう、高校の公式距離だからよく走ってただけで、十キロとかざらに走ってたのに。
競技場の時計―――外灯にくっついてるヤツ―――が見える頃には、ハーフマラソン走ったくらいに息が上がってた。
しかも、ぼんやりと見える長針は、二十五分あたりを指していて、自分でも情けなくなるくらいにタイムが落ちてる。
当然だけど。
「厄日か、……今日は」
競技場の入口に向かいながら、呟いた。
問題、大有りじゃねぇか!
コンタクト探す時間がなくて、眼鏡で走るのはイヤで、仕方ないから眼鏡を置いてきたはいい。
走ってる間はいいけど、こんなに薄暗くちゃ、何にも見えねぇ……
もう、帰ってるだろうか。
ほぼ十分差、だからな。
あやしい視界の中ゴール地点に向かえば、ちゃり、と、鎖を踏む音がした。
バカ正直に待ってたのかよ。
「陣の、ばーか」
不貞腐れたような声で。
久々に聞く生の声で、奴が言った。
「どっ…ちがバカだ…このクソバカジ…」
何とか声を出して、影の方へ向かう。
くっそぅ、コレだけいうのもやっとじゃねぇか。
オレの声に気がついたのか、影が―――ゴールで待っていたバカジが、オレの方へ駆け寄ってくるのが見える。
余裕だな、流石に。
オレはもう無理だ。不本意ながらへたり込もうとしたら、
「おせーーよっ!何十分待ったと思ってんだ!」
なんて、エラソウなバカジの声がふってきた。
…んだとぅ!?何十分だぁ!?
ほんの十分弱だろうが!キサマはいつの間にそんなタイムで走れるようになったんだ?
バカジが調子よく駆け寄ってきた勢いも利用して、腹に一発、こぶしを見舞っておいた。
「…ざけんな」
「ぅえっ…いってぇ〜〜っ!いきなりそれかよ」
腹を抱えたバカジがしゃがみこむ。
コレで心おきなく、坐れる。
仕方ないとはわかっていても、こいつより先に腰を下ろすのは、イヤだ。
「だって、陣、遅ぇんだもん、タイム、落としすぎじゃね?」
「現役のお前と一緒にすんな」
何とか答えて、座り込むと息を整える。
ちっくしょう、くらくらしてるぞ。やべぇんじゃねぇのか、オレ?
「リハビリもろくにしてねぇんだよ。また、救急車乗ったらどうしてくれるんだ」
息を整えながら、考えたことが、声に出ていたらしい。
ぴこん、とバカジが反応した。
「救急車……?救急車って、何だよそれ!?」
「あ〜!?」
「いま、救急車って言った!」
…言った…かもしれない。
あー、もう、マジで今日は厄日だ。
なんだってこう、つるつるつるつると、指を滑らせたり口を滑らせたり…情けない。
「だから、何だよ?」
「またって何だよ?また救急車乗ったらって、乗ったことあんのかよ!?」
「うるせーよ、耳元でわめくな」
「陣!」
こつん、と頭を小突いたら、がしっと、その腕を掴まれた。声の感じじゃまだ驚いてるくらいか。
口を滑らせたオレが悪い。
隠すつもりはないけど、教えるつもりもなかった。
ホントはずっと一緒に走りたかったとか。
ホントはずっとお前に惚れてるんだとか。
そういうことを話してしまいそうだから。